studio

種類はいろいろ

 

僕は、動物を彫っています。

何を作っているんですか?

何を彫っているのですか?

 

と聞かれると、大体はそう答えます。実際のところ、動物を彫って

います。

しかし最近、動物というとなんとなく哺乳類。

つまり、赤ちゃんと呼ばれる。いや、僕が勝手に赤ちゃんを哺乳類にのみ

使っているのかも知れませんが、とりあえず、赤ちゃんです。

それらを産み落とすものをこれまた勝手にイメージして動物と言って

いるのではないだろうか。という風に思いました。

と思ってみたものの、

そういえば僕はヘビの赤ちゃんといってみたり、

たまにカマキリの赤ちゃん。更にはトンボの赤ちゃんはヤゴである。

とか合っているようで、合っていないような、良くわからない事も平気で言っていることにも、たった今気がつきました。はい。

 

そんなこんなで、僕は動物をテーマとしているわけでして、

ここは一つ、ちょっとやってみようやないか。と思うのです。

そうです。

哺乳類だけじゃないんだよ。と。

実は今年から爬虫類やら両性類にも興味の幅を広げ、ついには

絶滅しちゃった系にもなんとなく惹かれているのです。

しかしながら、僕はこれまで温かい血の流れているやつら

を相手にしてきたわけです。更にはうっすら毛が生えていたり、

「これが耳だね。」とか、わりとはっきりしたタイプと

付き合ってきたわけです。

同じ肌のぬくもりを感じるやつらです。

何を考えているかなんて判る気も、知る気もありませんが、

なんとなく心が通っている気もしないでもない。

そんな間柄なんです。これまでのは。

 

しかし、後者はわけが違います。

全くの他人さんのような気がします。

そして僕には無いものも付いてたり、出してきたりするわけです。

これはなかなかハードルが高いわけです。

僕には毒やら空気の動きをなんか感じる特殊な器官とか鱗とか

そういったものはありませんからね。

なかなか分かり合えるもんではございません。

 

しかし、分かり合う努力はしようかな。と

我が家のペット、アカハライモリ君を観察することにしました。

流石は僕が捕まえてきただけあって、なんとなく可愛く見えないこともない。これは長年同じ敷地に住んできた中だからこそのことでしょう。

ということにしておきましょう。

このアカハライモリ君、実はちょっと毒をお持ちです。

ポイズンを有するのです。

しかし、人間でもちょっと毒のある奴に魅力を感じるなんて

事もあるような、ないような。


とりあえず、僕はハードルを越えたような。

いやくぐったような。もともとあんまり無かったような。


そんなわけで、動物は哺乳類だけではないのです。

 

 

招かれた


木彫をやっています。

そんな風に言っていると、色々な方から

木材を頂くことが多いです。

ありがたい事でございます。


僕は普段の制作では檜を主に使います。

というか檜がほぼ100%です。

いや、別に檜をくれと言っているのでは

ありません。あくまでパーセントの話で

ございます。%についてであります。


さて、そんなこんなで色々な木材を頂くのですが、今回はクスノキ

を頂きました。頂いたといいましても、実は結構前のことです。

結構前なのになぜ今か、それは木材には乾燥が必要だからです。

僕が忘れていたわけでも、乾燥させたのをくれというわけではありません。

人間が大人になるのに長い年月を必要とするように、

木材もまた木から木材へとなるにはそれなりに時間を要します。

こういったなんとなく思い通りにいかないというか、面倒くさい感じも

また、木材の魅力の一つなのかも知れません。


さてさて、そんな木材なのですが、今回はクスノキの丸太を頂きました。

クスノキというのは独特なニオイがします。樟脳でございます。

これは花粉症に悩む方にはお勧めです。部屋全体をメンソレータムの

優しい部分をカットしてもう少しワイルドさを加えたようなニオイです。

まぁ、単純に鼻がスースーするわけです。これもやりすぎはいけないもんで

長い時間彫り続けると今度はなぜか鼻水がツーツーしてきます。

議なもんですね。


そんなこんなで、せっかく丸太でしたので、一本から彫りだしてみること

にしました。一木造りっぽい。という感じです。

一木造りです。とまでは自分ではいえません。


普段は着色するのですが、今回は僕の木彫作品というよりは趣味の

ようなもんなので木目やらに頑張ってもらうことにしました。

こういった半分遊びではないのですが、趣味のような制作というのは

案外面白い発見やらがあります。というかあるような気がします。

一つ確かなのはこういった制作をすると作品(いつもの木彫)

が彫りたくなるのです。不思議なもんで、木彫をやっていると

こういった制作がしたくなることも多々あります。

不思議であります。


本当は招き猫を彫るつもりだったのですが、

何故かどうして招いた猫になってしまいました。

なかなか一本の木材から彫りだすのは難しいもんですね。










個展がおわりました


個展がおわりました。

7月の京都というかなり蒸し暑い時期でしたが

たくさんの方に来ていただき、本当にありがとうございました。

 

今回の個展は初めての木彫だけの展示でした。

平面とセットで展示したことしかなかったので

自分としては若干どうなるのだろうと思っていたのですが、

なんかいい感じに展示してもらえて、作った本人も

知らない僕の木彫の表情を見れた気がしました。

 

個展が終わると、毎回少し燃え尽きます。

特に今回は夏の個展でしたので夏が苦手な僕は

いつもより多めに燃え尽きていました。

 

京都の7月というと、祇園祭があるのですが、

今回の個展はまさに祇園祭の真っ最中。

京都市内には人があふれていたのですが、

勝手に京都を盛り上げてしまったぜ。と思ったり

もしていました。たぶん、暑さのせいです。

 

しかしながら、個展が終わった直後は不思議なもんで

ようこんなに作ったな。とか今回、結構がんばったな。とか

そういった僕がんばったよね。という思いに浸っているのですが、

さすがに一月くらいたちますと正気に戻るといいますか、

夢から覚めるといいますか、もっとこうしとけばとか、こんなん彫りたかったとか思うわけです。

あんなにも自分を褒めて称えた自分が、
何を血迷ったのか自分に自分で鞭をうつわけです。

 

不思議なもんです。僕は痛いのは好きじゃないです。

 

更に不思議ことに、そうこうしているうちに

また彫っている自分がいるわけです。

 

なかなか不思議ではありますが、

僕は今日も彫っています。


次にまた、皆さんとお会いできる日を

目指してがんばります。

 

 

 

 

かわいい子には旅をなんちゃら

 

かわいい子には旅をなんやらいうことわざがあります。

立派に育ってもらうためには旅やら試練のようなもんを

与え、一皮も二皮も剥けてもらおうという親心のようなもん

でしょうか。

 

旅を終え、帰ってくる頃にはなんだかたくましく、

傷の一つや二つ。そんでもって少しだけ親を大切にするように

なっている。こんな感じですかね。狙うところは。

 

まぁ。僕もかわいい子には旅をさせねばならん。という思いは

あるわけです。

そう。かわいい作品たちをね。

 

人間と違って、旅を終える頃には傷やらたくましいやら

容姿の変化は求めません。

望むならば、そのまま心優しい方と出会い、二度と会えなく

なるのがベストであります。

そういった意味では、人間と作品ではだいぶと様子が違います。

 

そんなこんなで、本州を脱出し、四国は愛媛県西条市。

 

旅に出ていただきました。

しかし、僕も人間です。

心のぬくもりを持ち合わせているのです。

よって、わが子の晴れ舞台を木陰からひっそりと、

それでいてずっしりとした態度で見守らせて頂きました。

 

まぁ。なんというか、自分の知らない間によくぞ。

というのが感想でしょうか。

僕自身、愛媛県に知り合いはおそらくいないと思います。

しかし、僕の作品を知ってくれている方はおられます。

 

なんとも不思議な気持ちです。

僕という存在を追い越して、作品がさっさと場を整えていて

くれた。なんともしてやられたぜ。という感じでしょうか。

 

最近、なにやらサプライズとかなんやら言う言葉がありますが、

あれは人間のやることでございます。

こちらは元々ヒノキの木彫がやってくれたことでございます。

もうサプライズどころではなく、Surprise くらいの表現は

必要とされるでしょう。

 

僕の知らない所で、僕の知らない人に。

僕が作品を作ることで、喜んで下さる方がいる。

それは作家として、そして作品にとっても

すばらしいことだと思います。

 

そういった方々の期待やら励ましによって

僕は作品を生み出せているのかもしれません。

 

しかし、「痛いくらいがちょうど良い」という

表現もあるように、僕は少しお尻を叩かれながら

それでいてたまにはお尻を撫でられながら。

そんな制作をしていきたいと思います。

 

最後に今回の個展に足を運んでいただいた方、

ギャラリーかわにしの塩出様ご夫妻。

蔵丘洞画廊の皆様に感謝したいと思います。

フォルムというやつ

「フォルム」という言葉があります。

良いフォルムしてるとか、ここのフォルムが。

なんて使い方をするのでしょうか。

僕もなんとなく使っている気がします。

実はフォルムとはフランス語らしい。フランス語と聞いただけで

なんとなく発音がぎこちなくなりそうです。

英語といわれてもなんとも思いませんが、フランス語というだけで

なんとなく粗相があってはならぬ。という意味のない

プレッシャーを感じます。

 

さて、自然界といいますか、まぁあたりを見回せば良い感じの

フォルムな奴らは多いものです。

植物系や魚類なんか非常に多い気がします。

全く必然性を感じさせない様なのから、

はっと息をのむ機能美という感じまで。

 

しかしながら、今回感じたフォルムは

「なんとも言えん感じ」でしょうか。

子宝草という植物らしいのですが、なんとも不気味です。

はたしてこれが子宝と言えるのかと不安になるほど不気味です。

あまりにもなのでネットで真偽を確かめるべく検索すると、

確かに子宝草に間違いない模様。

しかし、そんな子宝草の検索結果に、

「子宝草 増えすぎ」「子宝草 譲ります」

 

やはり、皆さんお困りのようだ。

 

人の感じ方というのは人それぞれで、かわいいと思うもの、

不気味だと思うもの。それはかなりバラバラです。

しかし、一方で子猫やら赤ちゃんといったかなりのシェアを

持った万能のかわいさを身に着けている輩もいるわけです。

これは僕が木彫を作っている時も常に考えさせられます。

不気味さとかわいさ。不細工さとかわいさ。

こういった相反するような魅力をギュギュっと一つに、

と常々思うわけです。

 

これはなかなかというか、恐ろしく難しい。

しかしながら、それこそが制作ということなんでしょう。

 

夏を感じる

 

作家たるもの季節には敏感でなくてはいけない。

わたくしは一応京都出身である。となればなおの事

季節には俊敏に反応せねばならないのです。

 

水無月をたべたり、祇園祭にいったり、

川床で同志と熱い論争を繰り広げたり。

 

そんなことは、たぶん僕の妄想に近い想像の中にしか

ございません。

僕にとって季節を感じるということは、朝の寝汗や無意識のうちに

買ってきたトニックシャンプーの中にあります。

憤りを感じるほどに趣きを感じない季節感であります。

 

これではいけない。作家たるもの。そう作家らしい季節の

感じ取り方が必要なのではないでしょうか。

 

先日。ようやく作家らしい夏を見つけました。

作家らしい夏。まず、作務衣から甚平に着替えるがごとく

長ズボンのジャージからハーフパンツのジャージに衣替えをし、

いざ。とばかりに制作に力を注いでいました。

木彫に着彩を行うというもっとも作家風な作業であります。

 

しかし、なんだか上手くいかない。これではいけないと思い、

作業の途中ですが戦線を離脱したのですが、

これもまたいけないと思い戦線に復帰しました。

この間おそらく10分程度。

 

僕は一つの事実を知りました。

夏なのです。絵の具が固まってもう使えないのです。

パレットの上で固く鎮座しているのです。

ついでに突っ込んで放置してしまっていた筆も、

すでに絵の具と一体化してしまい新たな関係が出来上がった

とばかりの固まり様。

 

夏なのです。乾燥するのです。特に温度に反応する系の

ものは。

 

 

個性というようなもの

 

僕には制作をするにあたり、ある重要な儀式があります。

それは、骨を砕いて信州の山奥に咲いている花の花粉と混ぜて、

佐渡島にある酒蔵の原酒と一緒に・・・。

というものではなく、ちょっと他のもんを作る。

というものです。

大体一年周期でやってくる衝動。

実用的なもの、家に不足しているものを木で作る。

僕もこんなん出来るんか。と自分で自分に驚きたい。

そんな衝動に逆らうことなくやってみる。

それが儀式なのであります。

僕の経験から言って、この儀式が4日続いた試しはないです。

 

そんな箸休めではないのですが、制作のつまみ食い的なこと

をここ数日やっていました。

昨年の儀式ではスプーンを生産しました。

今年はどうやら椅子のようでした。椅子といっても何も大した

事はなく、重要なのは僕の欲求を満たして、

尚且つ自分に少し驚く。と言うことですので、出来栄えはそんなに

重要ではないのです。

需要と供給のバランスさえ取れていればよいのです。

 

まぁ。そんなわけで制作していたのですが、普段使うヒノキでは

なく、以前に知り合いの方から頂いたケヤキ、サクラを使って

みました。

本当に同じ木材というか、木という種類の生物なのか。

と思うくらい勝手が違いました。割れ方、木目、重さ、硬さ。

そんでもってニオイ。

ヒノキは加工がわりとし易い種類らしいのですが、

ニオイもいい感じです。味よし見た目よし値段良し的な存在。

しかしながらケヤキときたらなかなか。

シェフを困らせる野郎です。見た目は良い。それは認める。

加工性はまぁ。木だから仕方ないか的レベル。

ニオイは・・・。です。ここでシェフならハーブやら

コショウやら酒やらで見事に料理するのでしょうが、

僕はシェフではないので、若干クサいままでした。

 

サクラはまぁ。見た目はなかなか。ニオイもなかなか。

加工性は頑固おやじが可愛く感じるレベル。

 

以上。僕の勝手な木材評価。(坂田源平調べ)

 

でした。木材にも強烈な個性があるようで、

ヒノキの中にも個体によって色々ある。

それはヒノキを常に使っているからなんとなく判る。

一度しか会ったことのない人をその印象だけで評価するのは

どうなのか?と思うこともある。

しかし、このケヤキとサクラは曲者だった。

願わくばこの強烈な個性がヒノキやサクラという種類のもの

ではなく、こいつら各個体のみの個性であることを願う。

 

 

木と木材

 

木材を加工する。それは古くから行われてきました。

それはそれは昔から。そして今でも行われているわけです。

 

僕もそんな木材を加工して立体作品を作っておるわけなのですが、

木というものと木材というもの、この関係をあまり考えてこなかった。というのも、僕は製材された木材を彫刻にしている。

丸太とかでなく、角材。きっちりといい感じの寸法にカット

されているのを使うわけです。そういうのを使っていると、

僕だけかもしれないが木材=木というのをなんとなく意識

しなくなるような気がします。

もちろん、角材であろうが丸太であろうが、全て山とかに生えているのを切り倒しているのですが、製材された木材を前にすると材料というような

気持ちがムクムクと湧いてきます。

 

なんとなく木に申し訳ないような感じです。

そんな僕なのですが、木というものを意識した制作もしてみたい。

そんな風にも思うわけです。

そんな風に思った結果が上の画像であります。

 

題して、「アフリカっぽいスツールっぽいもの」です。

~っぽいというのがミソでございます。

っぽいという言葉を付けるだけで完成度の低さや

その他もろもろの批判から自分を守ってくれる。

そんな魔法のような言葉だと個人的には思っております。

 

木というものを意識した制作。

切り倒した丸太を使う。その木の育った環境、

これまでの経緯を想像する。枝の方向、木肌。傷。

これこそが木との会話。

素晴らしき自然。

と思っていたのですが、さすがは自然。

食物連鎖。命のピラミッド。僕たち人間が

忘れかけている共生というなの美学。

まぁ。これは僕の丸太の管理が悪かったのですが、

虫達の熱烈はブーイングも受けてしまいました。

木肌をはがせばムカデ。削ったらサナギ。

 

これこそ自然。木材=木=自然=虫。

そんな自然との会話にも若干言葉が詰まりかけたのですが、

虫達の素晴らしい「虫食いのあと。」とも誠に勝手ながら

コラボレーションさせて頂き、完成となりました。

木と木材。製材されたものにはないイレギュラーな魅力

を感じた一日でした。

 

僕の道具とだれかの道具

 

道具というのは様々なものがあります。

何かを作ったり、何かをするために生み出されたもの。

なんとなくきれいな形になっていたり、使いやすいのや

使いやすいもの。何に使うのか全くわからないものや、

用途を主張するかのようなフォルムのものもあります。

 

同じ用途に使うものでも国や地域でなんか違うようです。

僕は鑿とか木を削ったり彫ったりする道具を使うのですが、

これまた色々な形があるようです。

まさに御土地柄的な感じです。

しかしびっくりするのは、こんな道具でこんなに上手く出来るんかい。というようなのを作っている時です。

これにはなかなかダメージを受けます。僕もなんだかんだ言って

「こんな道具じゃ・・・。」的なことを言ってみることがあります。というか、なんとなく言ってみたくなるのです。

しかし、先日、というか昨日。マダガスカルの人が木工で使う道具

を見たのですが、なんとまぁ。はっきり言って粗悪な感じです。

でも作るものはすごくきれい。

何も言われていないし、そこに作って人がいるわけではないのですが、「道具じゃねぇんだよ。道具じゃ・・・。」と言われている気がしました。

人間というのはすごいもんで、やれば出来るのだな。っと

精神的なダメージの直撃を避けるため、他人事のように思いながらも、少しばかりショックでした。

 

道具というのは、使うためにあります。

より使いやすく、より良くするためにだんだん形が変わっていく。

そしてそれらは国や地域、使う人によって様々な形に分かれていき

ます。しかし、形が変わっても、粗悪であっても、

使う人によって生み出されるものが違うのです。

マダガスカルには弘法大使はいませんが、

「弘法は筆を選ばずってあるだろ・・・。兄ちゃん。」

とフロムマダガスカルの道具から言われた気がしました。

 

 

 

 

 

東京でのこと

 

「東京」というとなんだか僕は身構えてしまいます。

別に僕が京都出身で、東京なんて東の京都でしょ。

とか思ってはいないです。本当です。

 

日本の首都である東京は、美術市場においても中心となって

いるようです。まぁ。あれだけ人がいれば仕方ないですね。

そんなこともあり、東京ではアートフェア東京なる、

日本最大級のアートフェアが催されるわけです。

日本最大級のアートフェア。京都にはない響きです。

京都にある響きと言えば日本で最初の的な響きであったり、

だれだれが座った椅子。的な感じです。

若干過去形かもしれない。しかしそれが京都の素晴らしい所です。

僕は東京にコンプレックスを持ってはいないのだから。

 

まぁ。そんなこんなでアートフェアに参加してきました。

今年で実は3回目の出展なのですが、これまではアートフェアの

スケールと人の量にただただ押されっぱなしだったのですが、

過去の反省を踏まえ色々と勉強をしてまいりました。

 

日本全国津々浦々からギャラリーが集まります。

なんとなくですが、ギャラリーの人がものすごい猛者の

ような気がして若干緊張しつつも、お客さんの立場を最大限

利用して、あれやこれやと情報収集に努めてまいりました。

またそんな活動の成果をお見せできる日も近いでしょう。

 

アートフェアで僕の作品を見ると、なんだか僕の作品なのですが、

少し遠い存在のような気がします。

「おうおう、チヤホヤされとんなー。」と思わず嫉妬したく

なる瞬間もあれば、親として慰めてやらねばならぬ

という責任を感じる瞬間もあります。

しかしそれらは、僕の作品が曲りなりにも美術品として

扱われている証拠でもあるのかもしれません。

 

なんかいい。そんな風に思ってもらいながら、

美術品として受け入れられる。

そんな瞬間に少しだけ立ち会えたのかもしれません。

 

 

 

工場と工場

 

制作を行う上で、色々と面倒なことはたくさんあります。

その一つが制作場所だと思います。

これは本当に大変です。多くの人が制作中の作品の横で寝たり、

一緒にご飯を食べてたり、ものすごく近い関係でまさに自分の

分身並みの親近感です。

しかし、それはなかなかつらい面もあります。

朝、目が覚めると一番最初に見るのはまだ途中の作品だったり

します。上手くいっていない時などは朝一番で見たいものでは

ありません。かなり追いつめられると昼一番でも堪えます。

 

作業場というのはすごく大切な空間のような気がします。

そういった点で僕はすごく恵まれていて、父親の工場(こうば)

の片隅でひっそりと、しかし確実に勢力を拡大しつつ日々制作に

はげんでいます。なかなかラッキーな環境なのです。

 

工場と工場。こうばとこうじょう。漢字で書くと一緒です。

でもこの二つは僕の勝手なイメージの中では大分と違います。

僕の家にあるのはこうば。どうしてそう思うのか、

子供のころから「こうば」と呼んできた空間なのですが、

「こうじょう」では無いような気がします。

「こうじょう」というと、なんとなくですが威圧的です。

「こうじょう」というと、きっと金属を作っています。

「こうじょう」というと、おそらくタイムカードなどがあります。

「こうじょう」というと、そこには頑固なおっさんがいます。

 

「こうば」にも少なからず頑固なおっさんは存在するのですが、

なんとなく、温かい雰囲気です。そして僕の作品の傾向を考えると、僕は「こうば」派であると言えるでしょう。

 

うちの家の「こうば」では、陶器や木彫。その他たまに

自家製燻製やらが製造されています。割と自由な空間です。

「こうじょう」ではこうはいきません。たぶん。

整理整頓清潔習慣。そんな感じです。燻製なんてもっての他です。

「こうば」では割となんでもありです。

「こうば」というと、石油ストーブの上で焼き芋が出来ます。

「こうば」というと、木と粘土が置いてあります。

「こうば」というと、洗濯物が干してあったりします。

「こうば」というと、猫がうろちょろしています。

 

人間は環境によって作り上げられる。そんな風に言う人もいます。

もし、僕の家に「こうば」ではなく「こうじょう」があったら、

僕はきっと、びしっとスーツを着て、毎朝シェーバーで髭を剃り。

スマートフォンなんぞをバシバシ使いこなし、

「ホウレンソウ」を合言葉にする企業戦士に成長したかもしれません。

 

家にあったのが「こうじょう」でなく「こうば」だった。

読み方が違うだけで、僕の人生は大きく変わったでしょう。

あぁ。「こうば」でよかった。

 

 

この木何の木気になる木

 

僕の家は田舎にあります。田舎というか、

山の中にあるわけです。木がそこらじゅうに生えています。

珍しくもなんともないわけです。

 

しかし、この木は珍しい。木が珍しいというよりは、

なんとも不思議なフォルムである。

不思議だがなんとも見事なフォルムでもある。

なんか吸い付いてきそうで、吐き出してきそうで。

 

僕は彫刻をしている。一応。

彫刻に使うのはほとんどがヒノキである。ヒノキ風呂とかの

ヒノキである。

使うのは製材された木である。そのため木というのは生き物

というよりは木材として扱うことがほとんどである。

山の中に住んでいても、実はそんなもんである。

恥ずかしながら。

 

でも、この木はグッと来たのである。

ある小学生がスーパーで売ってる魚しか見たことがなくて

海の中でも切り身でパックされたのが泳いでいると勘違い

したという話がある。らしい。

ということは山と遠い所で生活している小学生は木に関しても

製材された柱みたいなのが生えていると考えてはくれんだろうか。

そんな小学生がいたらぜひともこの木を見せてやりたい。

そんな小学生がいたらさぞかし驚くだろう。

 

しかしながら、僕は製材された柱のような木材が生えている

山というのもすごく見てみたい。

24の制作

 

「15の夜」という歌を歌っていた歌手がいはります。

尾崎豊さんですね。僕は、尾崎豊さんのファンではありませんが、

曲は聞いたことがあります。「15の夜」という青春まっしぐらで

甘酸っぱさが凄い曲ですね。その曲の歌詞に

「100円玉で買える温もり熱い缶コーヒー握りしめ」という歌詞があるようです。一応念のために、僕はファンではない。

いや、本当に。

 

100円玉で缶コーヒーを握りしめることは今の時代では

あんまり出来ないかもしれないですね。たまに100円で握りしめ

られる自販機もありますが。

まぁしかし、時代が変われば色々変わる。100円玉で缶コーヒーの温もりしか買えなかった時代から、100円玉(+5円玉)で

制作の道具が買える時代になってしまいましたよ。

いやー、これにはオザキもびっくりであろう。

 

制作。僕の場合は平面と木彫をやるのですが、

ともにアクリル絵の具を使います。その他に胡粉やら雲母やら

粉っぽいものから細々したものまで。まぁ。実際日本画を描いてる

人やらは色々な専用の道具があるのかもしれませんが、

僕にはそんなのがあるのかも判らない上に、それをどう使うのかも判らない。しかし、日常にあふれる道具たち、(キッチン用品など)ではわけが違います。用途は明白。さらには応用可能。

 

そんなわけで、僕の制作用の道具類は、割と100円玉(+5円玉

で買えるものが多い。

シリコンのヘラとか、ドレッシングを入れるやつとか。

使えなかったら、実際に料理に使えばいい。と思って買うのですが、さすがにアクリル絵の具が付いたヘラを料理に使う気には

ならず、少し無理をしてるのもありますが、

そこから新たな技法が生まれることもあるのでは。

と勝手に想像している毎日です。

 

オザキさんの時代からどのくらい経つのかわからないですが、

100円前後で買えるものは、温もりだけではなく、

利便性やら効率化をも生み出してくれるようになりました。

あぁ。24歳の僕の制作は百均グッズがあふれている。

なんとなく、少し恥ずかしい。

 

武将  無精 不精

 

最新のお知らせというものがあります。

最も新しい情報であり、誰かに知って欲しいという欲求を

感じさせる言葉であると、僕は考えています。

 

武将という言葉もあります。

なんとなく、三国志を連想してしまいます。

「桃園の誓い」でしたかね。なんだかやる気に満ちあふれた

ガタイの良いおっさんを想像します。

 

無精という言葉もあります。不精という言葉もあります。

どちらも僕にぴったりの言葉であります。

 

自分のHPなのですが、最終更新から早10か月。

恥ずかしい限りですが、僕は更新無精をしておりました。

 

作品の事を書くHPなので、作品の制作をまず頑張らねば。

と勝手に決め込んでいたのですが、いざ制作をすると、

HPに書くほどの制作を行っているのだろうか?ともう一人

の自分が話しかけてくるような気がしていました。

実際の所、話しかけてきませんでしたが。

 

しかしながら、ぼちぼちHPというか、WEBの恩恵を

受けたいという何ともやらしい欲求に耐えかねて、今後は

HPを更新していきたいと思います。

 

皆様、よろしくお願いします。

 

オリンピック選手のように

 

オリンピックで金メダルを取った選手は、しばしば燃え尽きて

しまうことがあるようです。

達成感やら疲労感。何を目指せばいいのか。

あまりにも漠然とした目標に脱力してしまう。

そんな感じでしょうか。

 

一つの展示が終わりました。

木津川アート2011。楽しかった。

地域を使ったアートイベントというのはこれまで参加した

ことはなく、今回は初めての体験ばかりでした。

自分の作品も少しばかり初めての試みを入れてみて、

これまでのミニマムサイズの木彫から、

わりと「キボリ」っぽいサイズまで。

なんというか、ちょっと冒険しました。

 

こうなると、燃え尽きてもいいんではないのかい。と

ぼそっと語りかける自分がいます。

僕は割と燃え尽きたとか言いたいタイプの人間デス。

ふふふ。

燃え尽きました。

 

と言いたいのですが、

まだまだ燃やせるんです。というか僕はまだ

くすぶってもいないのです。だから燃えることも

まだないのです。

 

というわけで、個展のお知らせです。

 

来年、2012年1月7日~21日、

蔵丘洞画廊での個展です。

http://www.zokyudo.jp/

 

今回はまた少し大きいサイズの木彫も展示します。

とりあえず、お知らせまで。

 

 

彫り始めたらキリン

 

木彫をはじめた時、僕の作品は非常に小さく、

手に収まるサイズでした。

現在、作っているのは自分の背丈より少し小さいくらいのキリン。

作品は少しずつ大きくなり、ついに自分の背丈に近づきました。

 

小さい作品に比べると、すべてが大きい。

労力やら材料費、はたまた時間もかかります。

でも、完成した時の自分への陶酔も半端なく大きくなります。

とりあえず、木彫りの部分(着彩前)が大体完成したところで、

僕は一度酔いしれます。

あまりにも酔いしれすぎて、このまま色が着くことなく

季節を過ごしてしまう不遇の作品もいます。

 

しかし、今回のキリンは違うでしょう。

このキリン。家に放置しておくにはでか過ぎるのです。

さっさと着彩して、バラバラにして保管しなくては。

 

こんな風に考えると、なんとも制作というのは世知辛いなー。

って思うこともあります。

でも、そんな風に思いながらも作る自分に、

僕は今日も酔いしれます。

ネコ

 

僕はアニマルというテーマで、といいますか、

動物のような絵や木彫を作っているわけです。

しかしながら、そんなことをしているのに、

我が家には哺乳類は人間しかいませんでした。

 

しかも、23歳のピチピチのホモサピエンスと、

60歳前後のかなりこなれてしまったホモサピエンス。

 

そんな我が家にも新しい刺激必要でして、

子猫さんに我が家のお仲間に加わっていただきました。

 

さすがに動物をテーマに木彫やらをやっていると、

動いている動物にさぞや興味が湧くであろう。と思っていた

のですが、案外平気です。

しいて言えば、虎の木彫を製作中と言ったところです。

なんとも関係があるようで、なさそうで。

もっと劇的な変化があって、過去の巨匠達のように、

猫によって全てが変わる!というのを期待していたわけでは

ないですが、僕にとって猫がいようが犬がいようが、

制作にはあんまり変化は現れませんでした。

 

まぁ。変化があったとすれば、画材やら工具を毎回片付けるように

なったこと。くらいでしょうか。

 

猫がいようがいまいが、あんまり制作には関係ないですが、

猫が家を走り回る鈴の音は思ったより良い音かも知れないです。

東京の思い出

 

丸善さんでの個展が終わり、少したちました。

来て頂いた方、来て頂いてこのHPを見て頂いているなんて奇特な方。

はたまた行こうかなと思って下さった方。

ありがとうございます。

 

今回、初めての関東、というか東京での個展でした。

京都での個展はこれまでに3回。

東京でも出来た。

後は奈良でやれば平城京、平安京、んで現在の首都と、

何となく都を制覇した気分になれるかもしれませんね。

 

まぁ。そんなことはどうでもよくて。今回の個展は

自分の中で良い経験が出来たのではないか。と思っていたりもします。

新しく僕の作品を知ってもらえたり、前から知ってもらって

いた人に実物を見てもらえたり。

 

自分でも判らないのですが、少し恥ずかしいようなうれしいような。

そんないつも以上にお子様な思いに浸っていました。

 

また、東京でもやりたい。そんな風に思った個展でした。

首都へ出張

 

お知らせでものせましたが、

東京で個展をします。

 

僕はこれまで京都での

活動がほとんどで、

次は大阪で、その次は

名古屋。そんで東京。

と勝手に決めていたの

ですが、少し予定より

早く東京で個展をする

ことが出来ました。

 

丸善日本橋店で

2011.6.8-14

となっております。

 

お近くにお越しの際は

ぜひぜひー。

 

家畜くん

 

これまで、僕の木彫というのは、サイズ的にぎゅっと出来て、

何となくペットの様な気がするサイズでした。

 

ハイエナであろうと、ライオンであろうと、

はたまたシロクマであろうと。

 

生みの親ということに勝手になっている僕にとって、

その動物が肉食であろうと、人間を襲ってしまうヤツであろうと、

恐怖の対象ではなかったわけです。

 

まぁしかし。そんな馴れ合いの関係や、マンネリにももう飽きた。

と言われたわけではないですが、少し大きな作品にチャレンジしました。

まず第一に、これまで抱いてきた愛情に満ちた感情というものが

なくなり、何となくコイツは役に立つんではないか?

というやらしい感情がわいてきました。多分それは、

人が家畜を見るときのまなざしではないか。と勝手に思っています。

 

しかし。生みの親を自認する僕がそんなまなざしでいいのか。

とも思う。ので、「くん」を付けたいと思います。

 

この「くん」には、「家畜と言っても普段は可愛がるよ。でも

時が来れば君は・・・。」という感じでしょうか。

 

酪農家の方の苦労を感じた。そんな作品でした。

でもまだ完成してません。

 

個展が終わりました

 

今日、個展が終わりました。

来ていただいた方。来ようとして頂いた方。

また、僕の個展を気にして頂いた方。

ありがとうございます。

 

今回は1年ちょっとぶりの個展でした。

前回から始めた木彫も、今回の展示では

結構な量となりました。

 

展示をするということは、何となく

自分の作った作品に対しての何か責任を果たした。

そんな気もします。もちろん。何に対しての責任かは判りません。

 

しかし、個展というのは何となく区切りになるような気がします。

これから何か新しいことでも始めようかな。

そんな風に思います。

 

新しい分野の開拓や、色々挑戦したいことも盛りだくさんです。

うーむ。何から手をつけようか。

 

とりあえず。個展が終わりました。

ありがとうございました!

 

 

文化祭

 

僕は文化祭というものがあまり好きではありませんでした。

文化祭は保護者やお客さんがいないと成立しないのですが、

そんな普段と違った大人の目線が

何となく恥ずかしかったのだと思います。

僕は普段学校ではこんな感じですというのをアピールする。

でも、家での様子を知っている親を相手にすると

なかなか良い力加減が見つからないのでした。

それに対してなんとなくむずむずしたような記憶があります。

 

しかし、そんなセンチメンタルな思いとは裏腹に

保護者の方というのは文化祭を楽しんでいるようです。

人によっては仕事を休んだり、無理やり時間を作って駆けつけたり。

なかなかのビックイベントのようです。

 

まぁ。何が言いたいかというと、

個展が始まります。4月12日-17日です。

同時代ギャラリー

http://www.dohjidai.com/

  

 

アニマルにとってこれは文化祭のようなものかも知れないです。

いつも自宅でころがっている木彫や、壁に張り付いてる絵。

そんな彼らの少し違った一面を見れるのではないか。

そんな気がします。

 

家ではあんまりなヤツも、ギャラリーでは花開く。

そんなことを少し期待もしています。

なので、僕は授業参観に駆けつけるオトンのように、

アニマル達が皆さんに見てもらい、なにやらアピールしている様を

見守りたいと思います。

 

皆さん。是非是非。 お越しください。

アニマルはモジモジしながらも、待っております。

 

 

 

 

 

 

アニマルポーズ

 

僕が最も迷うことの一つ。

それがポーズであります。どんな動物を描こうか。

どんな種類のアニマルを作ろうか。それも迷うのですが、

それ以上にポーズに迷う。

 

今回の木彫は盆踊り的な立ち振る舞いになっております。

なぜ、盆踊りなのか。なかなか説明するのが難しい。

しかし、この盆踊りにたどり着くまで、このアニマルは

「天上天下唯我独尊」状態でした。

さすがにそれは駄目だという理性が働いたのか、

気がつけば盆踊りでした。

 

僕の制作。絵と木彫。それらに共通する制作の肝。

それは「偶然」かも知れないと思います。

たまたま描いてしまった線。

勢いがついて削ってしまった木。

そんな偶然の産物をどれだけ上手く利用できるか。

そんな風にも思えます。

 

たまたま。偶然。何となく。

そんなよく判らんやつらに僕の制作は支えられています。

と言ってみたりもしてみます。

 

 

食物的鳥さん

 

僕の作品の共通のテーマは「アニマル」です。

しかし、最近の傾向として「アニマル」ではなく

哺乳類になりつつある気がします。

これではいけないというわけではないのですが、

ここらで一つ鳥類への電撃移籍をしてみました。

電撃移籍と言っても、次に描くテーマは

おそらく哺乳類だと思うのですが。

 

鳥類をテーマにするといっても、なんとも鳥は種類が多くて、

基本的なパーツはみんな似ているように思います。

羽とくちばし。この二つは外せません。

機能的な問題もあるのでしょうが、哺乳類には

角やら尻尾やら色々な自己主張パーツがあります。

しかし鳥の自己主張は鳴き声や色と言ったもので、

なんとなく大人な感じの自己主張です。

 

そんな鳥さんですが、僕のお眼鏡にかなってしまったのがいました。

「ニワトリ」です。

僕の勝手なイメージですが、ニワトリは最も哺乳類っぽい鳥

だと思っています。哺乳類というと、名前の通り「乳」があり、

そのため牛をイメージしてしまいます。更に牛は家畜です。

家畜といえば豚も家畜です。そんな流れでニワトリも家畜です。

と言った勝手なイメージによってニワトリは哺乳類に近い。

ということになりました。

 

今後はどんな鳥を描けばいいのだろうか。

この流れでいくと、ウズラあたりでしょうか。

哲学と猫

 

京都には哲学の道というのがあります。

桜の季節にはたくさんの観光客であふれかえる場所です。

 

僕は何となく哲学の道の梅が好きで、梅を見に行ったのですが、

なんとも素晴らしい光景に出会いました。

ネコ×10くらいです。

 

僕の作品にネコ科の動物はわりと出てきます。ネコは僕の中では、

ちょっと違った生き物です。

ゴハンを貰っているのにネズミを取ってきて食べる。

家の中ではゴロゴロ近寄ってくるのに、外では他人行儀。

 

そんな行動が僕には不思議でたまらないのです。

作品を作るうえで、何か良い影響をもらえるのではないか。

と思って写真を撮ったと言いたいのですが、

僕の個人的な欲求と、ネコがこんなに一杯いることに対する

驚き。そんなんに流されながら僕は行動し、

作品も作っていくんでしょうかね。

愛しの小道具

 

僕の絵や木彫はひっかいたキズのような線で輪郭やしわなどを

表すことが多いです。

しかし、僕は筆で線を描くということに何となく疑問を持っていました。というか、絵を描き始めた頃は筆で線を引くことが上手く出来ませんでした。そんな中で僕の制作の最も中心的な役割。というかほとんど全ての場面で活躍するのが、写真の小道具です。

正式名称は判りませんが、細工べらの一種らしいです。

画材屋さんでは石膏とかのところにおいてあったので、彫刻などに使うのでしょうか。

僕はこのへらを使って僕はアクリル絵具をひっかいていきます。

しかし面白いことに、最初は筆が上手く使えないから細工べらでしたが、現在はこの細工べらというのが大好きです。

不思議なもんです。何かミイラ取りが~状態です。良い意味でね。

 

しかし、この細工べらと言うのはなかなか大したヤツです。

多分300円しなかったと思うのですが、本当に役に立つ。

なかなか見上げたもんですね。

 

 

 

はじめはこうなの

 

絵を描くというのはなんとも不思議です。

僕の場合、木製のパネルに下地剤を塗って、その上に

アクリル絵具を使って描いていきます。

 

木製のパネルなので、木目がいい感じのやつもあります。

そんないい感じの木目に下地を塗っていくのは何となく罪悪感もある。

 

画像はまだ5合目くらいの絵です。

このまま頂上まだ上っていくんか。はたまたあきらめて下山するのか。

自分でもわかりません。

途中であきらめて、また今度挑戦ということにもなるかもしれません。

 

予期せぬ事態、不測の事態というものが登山にはつき物のようです。

僕は登山はしませんが、何となくそんな風に聞きます。

僕の描く絵も同じだと思う。パネルの木目に引っかかって

あらぬ方向に線が行ったり、下の木材が絵具ごと剥がれたり。

でも、僕はそんなハプニングが大好きです。

意外と面白くなることもあると思うので。

 

登山でも冷静な判断が大切です。僕の描く絵も同じです。

不測の事態に身をゆだねるか。それとも必死に抵抗するか。

そんなベテラン的判断がモノを言う。そんな風に思ってます。

 

けど、僕の場合は判断力よりも、単純な登る力が足りてない

気がしますな。

この絵はどうなるんだろう。

アンデスからこんにちは

 

僕は、アンデスという地名には何か魅力を感じます。

アンデス。何となく清らかな感じと不気味な感じが混ざった。

そんなイメージを勝手に抱いてしまいます。

 

木彫のアニマルは、「ラマ」です。

アンデスを代表する動物です。

アンデスの動物は、ただの動物ではなく生活を助ける家畜

も多いようです。しかし、アンデスの動物達にも、僕は何か

他と違う感情を抱きます。

なんとなくですが、神聖で、

なんとなくですが、物悲しい。

 

そんな哀愁を漂わせるのが、僕の中のアンデスです。

今回のラマもアンデス出身にしたいのですが、

これでは神聖も哀愁も感じさせない、

ただの家畜になりそうです。

展示をするということ

 

展示するというのはいつも色々考えさせられます。

どこに何を飾ろうかとか、まっすぐなっているかとか。

 

実際に自分の作品を客観的に見れるかは判りませんが、

何となく他人目線で見れる気がします。

 

僕の作品は言うなれば僕の親族です。

愛は盲目です。なので、僕も自分の作品に盲目です。

 

そんなわけで、展示するというのは色々気付くこともあります。

 

その一つが、アニマルたちの向きです。

自分の好きな方向を向かしていたら、いつの間にか

同じような方向を向いていました。

放任しすぎも考え物ですね。

お猿さんたち

 

猿三つ巴。

猿御三家・

猿三銃士。

 

どう頑張ってもうまくいかない。

ここからどうしよう。。。

未完の木彫

 

まだ未完成の木彫です。僕の木彫は檜を基本の木材として、

米松、南洋桜、楠なども使います。今回の作品はほとんどが檜です。

これからアクリル絵具で着色していきます。

これがどうなったかは後日ご報告します。